花の話

 花

 ダン・M・クライン教授はその花のことをマリアと呼んでいた。私は花の種類について明るくなく、また、詳しく調べようという気も起きなかったものだから、その花がなんという種類で、どういう類のものか全く知らなかった。
 それは、黄色い花だった。細やかな花弁が無数についていて、それを影から支えるガクはどことなく刺々しい。茎は細くたおやかで、葉はセリのように小さいものがたくさんついていた。
 教授が窓を開け、そこから風が緩やかに吹き込んでくると、花はくすぐったそうに揺れたりした。温かな陽光の中で身じろぎするその姿は、何となく金髪の女性が笑顔で彼にじゃれ付いているようにも見えた。
 
 ある日、教授が学会の都合で研究室を空けるとき、私は花の世話を頼まれた。私は安請け合いしたが、彼は至極真剣な表情で花にやる水の量や窓を開けるタイミングや時間など事細かに私に説明した。水の量などメスシリンダーで計量するように言われたくらいで、私はこれを相当不審に感じた。愛情が深すぎるというか、たかだか一輪の花にかける情熱にしては常軌を逸しているように思われてならなかった。それとも、花の愛好家というのはこういうものなのだろうかしらと、彼が残していった懇切丁寧なメモ書きを眺めつつ、辟易とした。
 それでも、一度受けてしまった依頼であったので、私はメモの通りに丁寧に世話をした。水はメスシリンダーで三四mL計って二四秒ずつ間隔をあけて四回に分けて一日二回与えたし、日照量が極端に変化しないように太陽の動きを絶えず気にしてカーテンを開け閉めした。窓を開ける前には必ず花から離れたドアから自分の体を乗り出して、外の風の状況を確認した上で初めて開放するようにした。匂いの強いものを食べるときは花に匂いがつかないよう家の中では食べないようにしたし、水を与えた後にはバッハのフーガを必ず聞かせた。
 教授が学会から帰ってくるまでの三日間、私は本当によくやった。おかげで彼が帰ってきたとき、花は依然として美しく咲いていたし、教授も満面の笑みで私を労ってくれた。礼だと言ってたくさん小遣いもくれた。私も報われたような気がして、その日はぐっすりと眠れたものだった。

 家に私を呼んだ彼が血相を変えて掴み掛ってきたのは、そのさらに三日後のことだった。
「貴様、貴様! 僕の花に何をした!」
 目を充血させて怒鳴る彼に私は目を白黒させて潔白を訴えた。
「何のことですか。私は貴方が残したメモ書き通りに世話をしたんですよ。水の与え方だって窓をあけるときだって、必ずあなたの書いたメモ通りにやりました!」
「嘘をつくな! 僕が言った通りのことだけをやっていれば、僕のマリアがあんな風になることなんてないんだ! 僕の言った通りのことだけしていれば――」
 彼はそこまで怒鳴り散らして、はたと呼吸を止めた。それから、私をゆっくりと解放して、自分の目を左手で覆った。
「アア――、私はなんという失敗を――そうか、きっと――」
 彼はフラフラと近くにあった椅子まで歩み寄ると、糸が切れたマリオネットのように力なく座り込んだ。薬物中毒者のように虚空を見つめて呆けている彼に、まだ動揺したまま私はどうしたのかと訊ねた。すると、彼は覇気のない声でこう言った。
「――あのメモに書いてあること以外に、何かしただろう」
「は? いや、基本的にあれ以外のことは――」
 言いかけて、私ははたと思い出した。そういえば、二日目の夜に音楽を聞かせるとき、丁度自前で買ってきた好きな音楽家のレコードがあったので、フーガを聞かせたあとに私が聞くつもりでそれを流したのだ。そのとき花の近くで聞いていたので、もしかするとこれのことかと思って、私は正直に告白した。
 すると、彼は蹲るように頭を抱えて、呻くように言った。
「それのせいだ。メモ以外のことは何もするなと、メモに書いておけばよかったんだ。
私の花は、私が与える以外の喜びを見つけてしまった。私より君が、より多くの喜びを与えてくれると思ってしまった! 君が私よりも多くのことを彼女にしてしまったせいで! 彼女は私のことを愛してくれなくなってしまったのだ! 彼女は――マリアは、君のようなものの方がいい男だと――」
 そこまで聞いて、私は彼のもとから逃げ出した。狂っていると思った。とんでもない狂人だ。まともに話を聞いてはいけないと直感した。幸い追ってはこなかったので、私はすぐに学長に事の顛末を電話で相談した。学長は話を聞くと明らかに不審そうに教授に会いに行くといって電話を切った。

 結局、学長と私が教授の自殺体を見つけたのは、その約一時間後だった。彼が残した血だまりには、彼の亡骸の他に、割れた花瓶と無残な花が横たわっていた。
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